なかまのたより



織本にて生きること

織本病院腎友会

外山 泰弘

私達、織本病院腎友会の年中行事として、秋の日帰り旅行を9月26日石和温泉ホテル「うかい」に立川観光バスを貸し切り、総勢36人で賑々しく一日を過ごして来ました。
 正に圧巻だった。車中ではカラオケ、ビンゴゲームに興じ、ホテルでは知人の紹介のボランティアによる手品も披露されていました。美味しい料理に舌鼓する人、露天風呂に入る人、それぞれに楽しい一日を過ごされたかと思います。
 バス代等そして4人のスタッフのご協力を頂き、さらに我が高木由利先生の温情溢れる御高配を頂き全員笑顔で、「楽しかった!」の言葉を聞く時、企画し、全てに大翻弄された大塚志保幹事達が大いに感動したのではと思うと共に、古老である私は、ひたすら喜びに浸った次第です。
 今日ここに東腎協三十周年を迎えるにあたり、その歴史を振り返る時、人間個々の逞しき命の尊さと共に支えて下さった暖かい診療に感謝の情を深く胸に刻み、今後共与えられた命を充実し、日々を全うしたく思うのみです。
 皆さん、日本医療の未来を一筋に信じ、頑張りましょう。
 東腎協役員の皆様ご苦労様です。会員の皆様、手を取り合い頑張りましょうね。
 苦しみを耐えてこそ明日があることを念じたく思う者です。

織本病院腎友会の秋の日帰り旅行の皆さん


私の海外旅行法〜スイス

高山クリニック友の会幹事

松本 孝雄

早朝のマッターホルン、残月とともに

1992年の秋、ヨーロッパ視察旅行をしました。訪問先は、デンマーク、オランダ、スイス、フランス、イギリスの5カ国でした。この時スイスの美しいアルプスに感動し、もう一度スイスを訪れたいと思いました。私は趣味の写真撮影(マッターホルン撮影)を中心にして計画をたてました。
 第一回 1994年7月ツェルマット(1620m)に7泊し、マッターホルン(4478m)の周辺を歩き廻りました。快晴のお花畑の高原を三脚をかついで歩き、マッターホルンや花の写真を撮るのは楽しいものです。
 第二回 1996年のある早朝、あきらめていましたが、雲が少しずつ晴れ、モルゲンロートのマッターホルンがあらわれやがて、雲の中から満月が下りてきました。決定的瞬間!と小躍りしてシャッターを切りました。この写真を「山と渓谷(誌)のフォトコンテスト」に応募し入賞しました。
 1998年4月に透析導入となりましたが、マッターホルンに逢いたいという気持ちは消えず、クリニック院長から「現状ならスイスへ行くことは出来る」といわれました。私はツェルマット観光局に国際電話をかけて尋ねました。
 「DIALYSIS CENTERがある」。という返事に大喜びして計画を立て始めました。1万メートル上空を飛ぶためには、ヘモグロビンが10g/dl以上あることが必要といわれましたが、幸いクリアしました。
 第三回 1999年7月3日〜12日(10日間)透析旅行をしました。月・水・金3回、午前8時から11時まで3時間透析をしました。ツェルマット・ダイアリシス・センターは木造でHD室には朝の光が差し込み、赤い花が輝いていました。HDはソファーに座って行います。事前にダイアライザーの種類、針の太さ(18ゲージ)血液型、等知らせて、ダイアライザーの「リユース」(再使用)はしないでくださいとお願いしておきました。院長からも診断書をファックスしてもらいました。費用は約10万円、社会保険事務所の「健康保険療養費申請書」に向こうで記入していただき、帰国後提出して、78%が還付されました。
 私が利用するスイス専門の旅行社はAlps Way(アルプスウェイ)〈電話*$93405489―9541〉です。飛行機の中ではエコノミー症候群予防のために通路を歩く。足を動かす。水を適量飲むなどを行いました。食事は水分、塩分、リン、カリウムの過剰摂取に注意することが肝要です。言葉は英語がしゃべれれば、ブロークンでも通じます。
 私のモットーはPPK(ピンピンコロリ)です。日本人の平均寿命78歳までピンピン生きて、コロリと行きたいものです。私にはあと7年残されています。第4回のマッターホルン詣でをして、締めくくりたいと願っています。

記念祝賀会にて

聖橋クリニック腎友会

早坂 喜久江

旧牧田友の会のメンバーと

東腎協結成30周年記念祝賀会で新宿へ来たのも久し振りですが、旧牧田友の会の会員の人達と会うのも久し振りです。牧田友の会は役員が居ないため残念ながら閉会になってしまいました。その後、一部の旧会員の人達と「仲間の会」を作り個人会員として電話や手紙などで近況報告をしたり、細々とやっております。
 お互いに透析歴が28年と長いので体調の話をすることも多くなって来ました。この次は総会で、と話し合い、記念に数枚の写真を撮ってこの日の思い出としました。

俳句

武蔵境駅前クリニック腎友会

原 た可司(85歳)

野分けして夜半の目覚めや
妹のこと

秋声の中に身を置く旅一人
半盲をつれなく刺せり秋入日
禿げ頭止り損ねし秋あかね
三十年透析続く破れ蓮

短歌

山田クリニック腎友会

水上 清吾(79歳)

唄に聞くここが矢切の渡しかと
妻と佇む夕暮れの河岸

さながらに幼児のごと
はしゃぐ妻 たわわに実る
サクランボの下

その昔海女の島なる白浜の
女来島には訪う人もなく

東腎協146 2003年1月21日 

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最終更新日:2003年5月24日
作成:Asahi