食い気一筋、伊勢志摩一泊の旅
東海病院 ひまわり会 小野 協子
私達、透析繋がりの女性、Y、N、T、Oの4人組は9月の休日を利用し三重県の伊勢志摩まで旅に出ました。
伊勢神宮に昼に到着、まずは空腹を満たせと、名物の伊勢うどんに挑戦し初めての味に感激!お参りは簡単に済まし、伊勢神宮門前のおかげ横丁で,「この漬物は美味しい」「この佃煮は珍しい」と透析患者とは思えない試食と買い物に没頭しました。
その後ホテル近くの駅に着くと既にホテルの送迎用ワゴン車が待機、風光明媚な英虞湾が一望できる横山展望台に直行し、しばし、夕日の輝く海に見入りました。宿泊の志摩セントラルホテルは向かいには透析施設があり、食事も透析食で他県の患者会でも多く利用しているとのことで選んだのですが、食い気一筋の私達は普通食を選択し、伊勢えび、あわび、松坂牛などの豪勢な食事にリンもカリウムも忘れ埋没してしまいました。
翌日は衰えること知らない旺盛な食欲で朝食バイキングに挑み、名物の赤福のお土産をホテルよりいただいて満ち足りた気分でチェックアウト、またまたホテルのご好意で鳥羽水族館まで送っていただきました(決してホテルの回し者ではありませんが、志摩セントラルホテルでは名所への案内や施設内のサービスも充実、部屋も広くきれいで透析患者向けのプランもあり、優雅なひとときを味わえるホテルでした)。
鳥羽水族館は、東京の水族館の3〜4倍はあると思われ巨大な施設で珍しい海の生き物も数多く飼育されているようでしたが膨張した体を持て余している私達は優雅に泳ぐ魚達にはついていけず、結局はお土産売り場で試食に走っていました。1泊2日の短い旅でしたが女性4人で思いっきり食べておしゃべりしストレスを解消した楽しい思い出となりました。
毎日感謝で透析生活
柳原健腎会 田口 一郎
私は昭和56年1月20日に日本医科大学に入院し、病名はネフローゼ症候群でした。入院して1ヵ月位は毎日がつらく、何で私だけこんな病気になったのだろうと思う毎日を送っているうちに、同じ病気で亡くなる人、離婚される人もいました。
私は「一生職場にもどる事が出来ない」と先生から言われ、ショックで涙がにじんで前が見えなくなり、どうせ死ぬのなら、入院生活を楽しく送ろうと考え直し「人生を変えてやるぞ。今に見ていろ」という気になりました。
田口さんは人が変ったと皆に言われるようになり、5ヵ月の入院生活がそれほど辛いものではなくなりました。
それから輸血を月2回繰り返し、少しは元気になり、そんな時にW教授から腎臓の名医I教授を紹介されました。教授は私の顔見るなり、「田口さん、動けるようなるよ」とこの言葉がとても嬉しくなり、勇気が出るのがわかりました。
「田口さん、ここに来たのはわかるよね。人工透析を受ける事だよね」と言われ透析室を見学したり、ビデオを見たり食事指導をして戴き、今考えると私は恵まれていると思いました。岩本町腎クリニックでは特にO先生にお世話になり、とても感謝しております。又、職員の皆様と撮った写真は今でも忘れる事が出来ません。
現在は柳原腎クリニックで最高の透析治療を受けて、毎日感謝、感謝の気持ちです。これからも宜しくお願いいたします。
俳句
納涼の宴賑やかに屋形船
通院の妻を気づかう猛暑かな
ふる里の香りが届く夏野菜
深川橋クリニック腎友会 正宗 良子
東腎協 No.160 2005年10月25日
最終更新日:2006年1月8日
作成:K.Aatari