会員さん訪問 第95回

吉祥寺あさひ病院吉祥寺あさひ腎友会
篠 喜代子さん


 今回ご紹介する篠さんとは当日、西武新宿線「鷺ノ宮駅」で待ち合わせをしました。第一印象は、帽子がとてもお似合いの明るい方だなと思いました。お話は駅近くの喫茶店で伺いました。

突然たおれて

―透析導入までの経緯を教えてください。

笑顔で質問に答える篠さん
なまえ しの きよこ
透析導入 昭和50年7月30日

 昭和43年頃、脳溢血で倒れた義母の介護と小学生・幼稚園に通う2人の子どもの世話でとても忙しく過ごしていました。ある夜、テレビを見ていたら突然、目の前が真っ暗になり倒れました。診察をしたら血圧が240もあったそうです。その後、日大板橋病院でお産以外始めての入院でしたが、検査をしたところ、「腎臓微弱」との病名でした。

 その後7年間は血液検査などで病院に定期的に通っていましたが、子どもが中学3年・小6の時に透析になりました。腎臓機能がまだ正常に戻るかもしれないとのことで、1年間は有料で透析をしました。医療費が月50万円近くかかり、申請しても2割しか戻らずたいへんでした。1年後に腎臓機能が戻らなかったので、申請をして医療費が無料になりました。最初、透析は週2回でしたが、その後変則的に週2回と3回をくりかえして、7年後に週3回になりました。

透析30年、最初から血圧も安定 最初に作ったシャントも順調

―現在の体調はいかがですか。

 今年の7月で透析30年になります。最初から透析中も血圧が安定していて、シャントも始めに1回作っただけで順調で、穿刺もうまくいっています。合併症もほとんどなく、去年手根幹の手術をしたぐらいです。

 病院には自分で車を運転して通っています。帰りに買い物や友達とお茶を飲んだりするのが楽しみです。外食もなんでも頂きます。昼、外食をした時は、朝・夕は自分で料理をして塩分や水分を調整します。体を動かしているせいか、腸の調子もよく、汗もかくので、中1日で1・8s、中2日で2・3sの体重増加でコントロールもうまくいっています。たまに失敗したときは、透析を始めた頃を思い出し(当時は1日200tの水分制限)、1日500tのペットボトル一本に入れ冷蔵庫で冷やして、目安にしています。

運動・栄養・水分

―30年間透析がうまくいっている秘訣はなんでしょうか。

 3つのことに気をつけて自己管理をしています。
 1つは運動、家の中でじっとしていないで外に出て、歩けるところは歩きます。以前はゴルフもしましたが、今は孫と卓球、筋力トレーニングに通っています。

 2つめは透析に耐えられるように塩分に気をつけて、よい栄養を取るようにしています。

 3つめは水分管理で1日1,000tの水分摂取にするように心がけています。

 病院まかせにせず、積極的に努力もします。何か疑問があればメモして先生に質問します。やはり自分の体ですので自分で大事にしないと。生活の為の透析であって、透析に振り回されないようにプラス思考で前向きにいつも来ました。


趣味も多彩

―ご趣味は。

 読書、絵手紙、カラオケ、旅行などです。絵手紙は始めて5〜6年になります。季節ごとに移り変わる庭の草花を書いて友達に送ったりしています。旅行は以前にハワイ、中国、イギリスなど海外にも行きました。国内も現地で透析をしながら回ります。娘がお茶を教えているので、一緒に萩、有田、薩摩などの陶芸の窯元にも出かけます。

―最近の患者さんについては。

 最近は患者さん同士のつながりが少ない気がします。透析暦が長い患者さんの実際の体験談も聞いて、知識を得ることも大切ではないでしょうか。知識がないのは気の毒だと思います。

患者会・東腎協に一言。
 東腎協の活動のおかげで安心して透析ができます。いつも感謝しています。自分でも出来ることは協力していきたいです。
ご本人からの手紙

 「透析に入ります。」と言われ、絶望の底に突き落とされた日から30年の月日が過ぎようとしています。余命3年と言われた時が思い出され、当時中三と小六の娘が結婚した時は、主人と二人で感激で涙が止まりませんでした。

やがて孫が誕生し、私の励みとなり、孫達の成長を楽しみに頑張って行こうと心に決めました。透析と仲良く付き合いながら、こんな幸福な日々を送れる事に感謝しています。私が三十年間無事に生きてこれたのも家族の愛、良き友、先生方やスタッフの御蔭だと何時も感謝を忘れません。

〈あとがき〉
 明日は92歳のお母様と温泉に出かけます。と言われ、自転車でさっそうと帰っていかれました。今年で透析30年とは思えないぐらい明るくハツラツとした方でした。(取材・當・写真・軽部)

東腎協 No.159 2005年7月25日


最終更新日:2005年8月28日
作成:K.Atari