阿佐谷すずき腎友会 品川 妙子
夢に見たスイス
7月2日チューリッヒの空港は小雨。心配していた12時間半のフライトは意外ときつくなく無事憧れのスイスに到着!
私の通う透析施設「阿佐谷すずき診療所」が主催する旅行に初めて参加しました。
憧れのスイスへの思いと、現実の生活との狭間に決断をぎりぎりまで悩んでいた私。長期透析の友人が「動けるうちに行っておいで」と背中をポンと押してくれたおかげで家族の協力のもと、スイス旅行の実現となりました。
「行くと決めたのならば思いっきり楽しむ」と気合満々。1つ1つをしっかり目に焼き付ける勢いで予備知識をイッパイ詰め込み出発しました。
13名の患者さんとご家族、スタッフ5名、添乗員さん2名の大所帯の透析ツアー旅行。鈴木院長先生はじめ、スタッフも患者さんも気心の知れた仲間なので、不安もなく気持ちはワクワク。
透析は3回とも同じ病院でツアーメンバーを2ヵ所に分けました。私たち10名は「REGIONALSPITAL」という総合病院で透析を受けました。
1回目の透析は疲れや緊張で、あちらこちらで足がつれたの大騒ぎ。スタッフと現地スタッフとの連携プレーで無事に乗り越え1回目を終了。以降、残りの2回はそれぞれが足を暖めるなどの注意をしたので、全員無事に透析をすることができました。
私は、少々ややこしい裏側シャントの持ち主。鈴木院長先生と、いつものスタッフがそばにいてくれるのはなんとも“鬼に金棒”です。現地スタッフに理解しづらい部分を直接英語で説明して下さり、透析を無事終えることができました。専門の通訳さんが病室にいてくれたのも安心の1つでした。
透析が無事となると、それはそれは思いっきり旅行を楽しめるのが不思議です。
雨のルツェルンの町並み、雲1つない絶景のマッターホルン、アルプスの奥座敷の姿ユングフラウヨッホ、いろんな景色をたくさん見せてくれた登山列車、レマン湖のほとりに建つ、時が止まったかのような姿をしたシヨン城。どんな小さな思い出も1つ1つがかけがえのない宝物となった今回のスイス旅行。
あの苦しかった透析導入の時には、このような自分になれるなんて想像もつきませんでした。これも院長先生とスタッフの皆様のおかげと心より感謝してやみません。
いろいろ悩みは尽きないけれど、これからも夢をかなえさせていただいた皆様の思いに応えられるよう、頑張ってまいります。
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マッターホルンをバックに記念撮影 |
上海中医学の旅
6月27日から7月4日まで念願の上海への中医学の研修に行くことができた。初めての海外、しかも一人旅ということで多少の不安はあったが、なかなかエキサイティングな旅になった。上海の中医薬学大学という国立の大学病院その付属・曙光(しょこう)病院で鍼灸・推掌を研修し、中西給合医学を学ぶというのが本来の目的である。
ここの医療は西洋医学と東洋医学が結びつき、中国の医療システムを形づくっている。今回専門的なことは措いておいて中国での“透析”について書いてみる。
今回私が透析を受けたのは、中医学の研修をした同じ曙光病院内の入院病棟にある血液室である。初の海外、しかも人工透析ということで、負担を少なくということで、旅行会社の社長さんが、特別に話をしてくれて入院病棟で受けることができた。
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中国旅行で美人の中国女性と |
透析の先生は茶髪の女先生、ベッドは15台ぐらいあり、3室に分かれており以外ときれいである。機械はバクスター社製、天井には大きなテレビが備えてあり、CCTV80チャンネルぐらいある。スタッフの看護師さんは女性が多く、日本語がわかる方はいなかったが、私の場合は研修の通訳の先生にお世話してもらい週3回、各4時間の透析を快適に受けることができた(一回8000円)。
中国では水はコンビニ等で買うしかなく、梅雨の時期で蒸し暑く発汗のため体重がそんなに増えなかったのも良かったみたいだ。この病院の透析が始まったのは、1990年ぐらい、一日3回、週2回5時間だという。透析代はどのくらいか?退院した後はどうするのか?などいろんな疑問を感じたが、言葉の関係上わからなかった。ただし、上海の保険は上海に住んでいる人、上海で働いている人しか使えないらしい。
地方で病気の方は、都市のホテルに滞まり自費治療を受けているという。こういう人々はいい方で、医療を受けられず、死ぬしかない人もいるらしい。「日本人だからよかったね。」と中国人の通訳の先生は言う、上海は、サッカーのアジア杯と違い日本人には友好的だと思う。
山田クリニック腎友会 水上 清吾
職終わり あとは気楽と おもいしに 時間潰しに 苦労するとは
お前らに まだ負けないと 意地を張り あとで隠れて マッサージに行く
老いたれば 子に従うは 知りつつも 素直になれぬ 老いの一徹
新小岩クリニック 戸川 恭子
しんしんと 山の宿更け 舞う蛍 ひとときの過ぎ 闇に眠れり
点滴の 痛みこらへし 子の声の つひに聞かれず 無念の残る
約束の 誕生祝を 一ヶ月と 決め置きその日 待てず子は逝く
幸町腎クリニック 石井 信行
「透析への道」
転院で、この道とも今日でお別れ、もう歩くことはない。
道端越しに見える、コスモスが別れに頭を振っている。
別れの朝、さわやかな風がこの道を通り過ぎる。
苦しんで立ち止まり立ち止まり歩いた日、深呼吸しながらゆっくりゆっくり歩いた日、歩を高く上げて、なかなか進まなかった日、多くの思い出が、あふれて、こ の道に流れる。
さわやかな秋風のように去ろう。
さわやかに忘れよう。
私の心のロード、この道。
原稿募集
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最終更新日:2004年12月20日
作成:Minato