故小川嗣雄副会長への追悼


物静かな、そして熱い情熱の小川さん、安らかに
会長 榊原靖夫


 小川さんを偲びますと沢山の思い出と尽きぬ想いがあります。私にとって小川さんは、最も信頼出来る、そして人間として心から尊敬出来る掛け替えの無い人でした。
会議や行事の後、語り合い、また、議論する事が大きな楽しみでした。そんな時、いつもと変わらず優しい微笑みで話しを聞いてくれ、そして物静かにしかし内に秘めた熱い情熱が伝わって来る語り口で「患者会」への想いを話してくれました。
高い見識を持ちながら偉ぶらず、熱き心を持ちながらいつも平静に、揺るがぬ信念を持ち続け、決して人を裏切る事の無い人でした。
ありし日に二人で熱く語り合った「患者会活動への想い」を忘れる事無く、真摯に私に与えられた役割を果たして行く事が亡き小川さんへのご恩返しとなり、追悼になると信じます。小川さん、本当にありがとう、安らかに。

小川副会長と行ったねぶたの思い出
前副会長 押山大作

 2002年8月、小川さんと2人で青森のねぶたへ出かけました。色とりどりに灯が入ったねぶたを十分堪能しましたが、旅行中、行き帰りの機内で、ホテルの部屋で、ほとんどを東腎協活動、患者会活動、透析医療について話し合っていました。経験、知識豊富な小川さんから学ぶことは山ほどありました。また、患者会活動への情熱に深い尊敬の念を抱きました。昨年度多忙な東腎協活動で日曜日がほとんどつぶれ、透析変更もしばしばだった小川さんが「次の総会が終わったらのんびり沖縄・石垣にでも行こう。今は、忙しすぎるからね」と誘ってくれた旅行に一緒に行くことはもう出来なくなりました。無念。


故原三代吉相談役への追悼


原さんご苦労様でした
常任幹事 戸倉振一


 原さんの告別式に参列し最後のお別れの際、原さんの安らかに眠る姿を前にして、「原さん本当にご苦労様でした、どうかゆっくりお休みください」という思いでいっぱいでした。これまで原さんが自分に課してきた使命というか、背負ってきた荷から解放されたような、生前には見たことない穏やかな顔でした。
 原さんは、東腎協の活動も然ることながら、地域腎友会として地域の地道な活動も精力的に行い、まさに自分の命を張った活動を展開していました。その志が達成されるまで死ぬに死ねない思いだったのではないでしょうか。ここ1〜2年は気力で生きている感じさえ受けました。原さん、本当にお疲れ様でした。安らかにお休みください。


故原会長への追悼
江戸川区腎友さつき会 副会長 多田可子


 家も近い事もあり、故森田廣明さんからさつき会会長が故原三代吉さんに引継いてからは腎移植キャンペーン、行政窓口への要請行動などにご一緒する事が多くなり、家族の方とも仲良くして頂きました。
病気になる前までは船堀に大きな自動車修理工場を経営なさり、よく働きよく遊んだと言っていました。また近くの少年野球のコーチもし甲子園までに行った子もおり、いまではその子がヤクルトのコーチをしているとの事、負けず嫌いの根性で、腰、頚椎、腎癌の手術の痛みなどに耐え介護移送問題、災害対策など亡くなる直前まで活躍なさり、古希を目の前に41年間夫唱婦随で来た奥様を残して逝ってしまったことは残念なことだったろうと思います。
これからも故原会長の意思を引継ぎ頑張って行きたいと想います。謹んで原さんのご冥福をお祈りいたします。

東腎協 2004年5月25日 153


最終更新日:2004年7月15日
作成:M.Koseki