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透析患者の頚椎異常 手術体験記


松和患者会西新宿支部
三浦 礼子
三浦 礼子氏の写真

〜1年経って普通の生活〜

 私が透析を始めたのは、1970年からで、今年で30年を迎えました。1年間は透析に慣れずシャントも外シャントでしたので大変でしたが3年ぐらいで内シャントになり透析人生が大きく変わりました。15年間は痛みもなく健康な人と同じ生活が送れました。

 その後も坐骨神経痛や手根管、肩の手術ぐらいで何事もなく過ごして来ましたが、2年前に左手の小指から肘にかけての痛さと熱さを感じる様になり、足は布団の上を歩いている感覚で、平らな道でもつまずいてしまいました。

 透析中の痛みは半端ではなく夜ベッドに入っても自分の力では足を動かすこともできず、足の裏がむくんで、この痛みや気持ち悪さには耐えられませんでした。診察を受けた結果診断は首(頚椎)からの痛みとの事で手術をした方が良いとの事でしたが、長期透析患者の手術への弊害が多く先生は積極的ではありませんでした。私はどうしても痛みを取り除きたく手術をお願いし内科入院からということで話が決まりました。昨年7月、日赤病院の内科に入院手術に耐える体力があるかを判断する検査が始まりました。そして、入院してから三週間目で整形外科の真光先生にお会いし、手術についての説明をお聞きしました。先生は「心配ありませんよ」と分かりやすく説明してくださり、私も家族も安心して手術に臨めました。それでも透析29年、53才のおばさんが、手術に耐えられるか不安もありましたが、私は今のこの痛みがとれるならどんなに辛い事にも耐えるように誓いました。

 手術の朝は緊張することなく脈拍、血圧もいつもと変わらず元気で手術室へ向かいました。「三浦さん、三浦さん」と声をかけられ目が覚めたのは、ICUの部屋でした。すぐに足が軽くなっているのを感じました。手の痛みも少し良くなっていました。声をかけて頂いたのは真光先生で、「手術は成功しました。あとは三浦さんの体力と努力ですので頑張って早く歩く練習をしてください」と、優しく声をかけてくださいました。

 それから3日間は体を動かすこともできず、とても辛く大変でしたが4日目から少しずつ頭を上げられるようになりました。頭が肩に食い込んでいくようで座っているのも辛いのです。頭がこんなにも重いものだとは知りませんでした。それでも重いなどとは言ってはいられず、毎日少しずつ、少しずつ歩く練習をし、無事退院することができました。真光先生から「退院にあたって特に贈る言葉はありませんが、1ヵ月半は首の事に気をつけて、3ヵ月過ぎたら手術の事は忘れて普通の生活をして下さい」と温かいお言葉をいただきました。1年経った今日、普通の生活を楽しんでおります。私が成功した後、透析27年の友人達が手術をしていただき元気になっています。真光先生には、長期透析患者に夢を与えていただいた事を感謝しお礼申し上げます。


虎の門・高津会
高崎 豊彦
高崎 豊彦氏の写真

〜手術をしてよかった〜

 皆さんこんにちは、私は今年の夏で、透析歴満32年になりました。

 平成9年の1月頃から、指先のしびれを感じるようになりました。5月頃から、だんだん症状が強くなって、仕事にも支障が出てきました。6月末に手の抹消神経伝達速度の検査を受け、同じ頃首のレントゲンを撮ってもらいましたが、両方とも異常ないといわれました。7月中旬に足の指、背中、お腹の感覚が鈍くなり、MRIの検査の結果しびれの原因は、首と判明しました。9月に整形外科を受診した所、「あなたは、透析が長く骨も脆くなっているので今のところ積極的な治療はしないで、少し様子を観ましょう」といわれました。

 10月末に定期の整形外科を受診しました。指先の反応、歩行動作などを診た後で、初めて頚椎脊柱管狭窄症と知らされました。 11月5日に首の牽引をするために、3週間の予定で入院しました。効果を期待して早速始めましたが、2週間した頃、前よりしびれが強くなったのと、夜ベッドに横になると左足が勝手に痙攣して、眠れない日々が続いたので、牽引を中止しました。MRIの写真を見ながら現在の状態を聞きました。頚椎の一部が狭窄しているのと、5番目が前から後ろに少しずれていて、脊髄液の流れが悪くなり、神経を圧迫しているといわれました。このままだとだんだん悪くなるいわれ、手術をするかどうするか聞かれました。手後れになると大変と思い、即座に手術を希望しました。

 平成9年12月10日に手術を行ないました。手術は7個ある頚椎の後ろ側を切開して、三・四・五・六番にセラミックスをはめ込み、頚椎を少し広げて、脊髄液の流れを良くする。しかし、五番目のずれている所はそのままでした。もし削ると頭の重さに耐えられない恐れがあるといわれました。手術が終わり、麻酔から覚め、部屋に帰ってからが辛く長い夜でした。L字型枕なので直接傷口が当たり痛いのと、顔の左右に砂嚢を置いて首が動かない様にしてあるので、背中、腰は凝ってくる。また、痰が頻りに出るので、結局一睡もできずに朝を迎えました。

 つぎに、フィラディルフィア(首を固定するのに使う)を装着したまま、一週間程ベッドに釘付け状態が続きました。やっと車椅子の許可が出た時は、なんとも言えぬ開放感を味わいました。気がつくと背中、お腹の感覚が治ってきました。年が明け、ネックカラーに換えてよいといわれ、少し楽になりました。1月17日に退院許可がでました。2ヵ月余の入院で筋力、体力が著しく落ちたので、散歩から始め軽いウォーキング、筋力トレーニングをして回復に励みました。
現在、手のしびれは残りましたが手術をして良かったと思っております。

東腎協  2000年10月25日 No.135
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最終更新日:平成13年3月16日
作成:Tokura