東腎協この10年間の運動
東腎協事務局長 森 義昭
 1942(昭和17)年生まれ。76(昭和51)年7月から透析導入。80(昭和55)年から東腎協の役員に。81(昭和56)年に事務局次長、83(昭和58)年から事務局長になり、現在に至る。文字通り東腎協の運動の大黒柱として活躍中。

 この10年、日本経済は、今までの右肩上がりからの転換ができずにもがいている。頼みの政治改革も思うようには進まず、その負担だけが国民に重くのしかかっている。そんな中で私たち患者をとりまく環境も年々厳しくなっている。今年の4月からは外来透析の食事代が事実上有料化された。それ以上に怖いのは透析医療の質の低下だ。東腎協は結成以来、私たちがよりよく生きる環境づくりをめざして活動してきた。このたび、東腎協結成30周年記念誌の発行に際し、この10年くらいの主に対外的な活動について記す。

【透析患者の現況】
 日本透析医学会の調査によれば、2001年12月末現在の慢性透析患者は21万9183人となっている。透析導入の原疾患1位は糖尿病で38・1%、2位は慢性糸球体腎炎の32・4%だった。また、1983年以降導入患者の生存率は5年で59・3%、10年で40・1%で、透析患者の高齢化もあって、年々成績は落ちる傾向にある。一方、20年以上の長期透析患者は1万2530人、最長透析者は35年となっている。導入患者の平均年齢は64・24歳でますます高齢化が進んでいる。

【透析医療費について】
 1994年に透析の技術料の中に透析液、血液凝固阻止剤、生理食塩水を「込み」とする定額制が初めて導入された。実施後、治療内容に変更があったという報告が全腎協に多数寄せられた。全腎協では7月、包括化の影響について全国規模の調査を行い、一部の透析施設で、透析液流量の減量、透析時間の短縮、血液凝固阻止剤の変更、生理食塩水の節約などが行われていることが明らかになった。

 1996年は、これまでの透析時間4時間を境とした2段階制から、新たに5時間以上という区分が認められた。全腎協の要望が実った年であった。この年、ダイアライザーは高性能膜普及のため機能別に2段階方式となった。さらに6月にはベータ2ミクログロブリンを除去する吸着型血液浄化器が保険適用となり、合併症対策に前進があった。1997年及び2000年には、慢性維持透析患者外来医学管理料にレントゲンや心電図が加えられるなどの包括化が進んだ。

 2002年4月には外来透析の時間制の廃止、食事加算の廃止などの改悪が行われた。5時間以上の透析が至適透析のひとつの条件であることが証明されているにもかかわらず、時間制が廃止されたことに大きな疑問が残る。また、食事加算の廃止は事実上、食事が有料化されたことになり、透析患者の負担増につながった。
 こうした診療報酬の改定は、厚生労働大臣が改定案を中央社会保険医療協議会(中医協)に諮問し、審議結果を答申するというかたちをとっている。中医協の委員の中に透析医療機関や、透析患者の意見を代弁する者がいない。諮問案を事前に入手し、中医協委員に対する働きかけを行っているが、残念ながら原案通り厚労大臣に答申されてしまうのが現状だ。今後、私たちの要望が取り入れられるような方法について研究していく必要がある。

【組識の伸長】
 2000年度の東腎協会員数は7118人で、この8年間に2058人増えた。また患者会数は85から17団体増の102団体に増えている。組織率は1992年度に40%だったのが、2000年度には34・9%まで落ち込んでいる。その原因としては、これまで長い間病院腎友会の活動を支えてきた役員が、高齢化や長期透析の合併症などで症状が重くなり、会員のお世話ができなくなっていることが大きい。
 病院患者会の役員不足は深刻で、そのために患者会がなくなるということも東腎協の中でも現実問題として何件か起こっている。また、新しく透析に入った人へ入会を誘っても「高齢だから」とかと断られるケースが増えており、また、重症者の場合は、勧誘そのものができないケースも増えている。
 今後も患者の高齢化など患者会をめぐる状況は、ますます厳しさを増すことが必至だ。こうした中で、会員を増やしている会もある。会員を増やすには結局のところ、一人ひとり声をかけ入会していただくという、地道な活動以外にないのが現実である。

東腎協の会員数と組織率の推移



【事務局体制の強化】
 東腎協は毎年の活動方針に事務局体制の強化を掲げ、努力を続けてきた。しかし、1993年の石川みさ事務局次長、1994年の草間和男事務局次長の急逝など、患者会の宿命ではあるが、しばしば事務局強化とは裏腹に緊急事態となった。1995年度は、森義昭事務局長、木村妙子事務局次長、井上寧枝会計に、軽部和之常任幹事、森田廣明常任幹事の応援で常時3人勤務体制をかろうじて保つことができた。
 
1996年度は、小田原庸吉常任幹事の出勤。長年アルバイトとして活動を支えてきてくれた広瀬憩子を事務局員として採用、事務局体制の強化を図った。当時、東腎協の事務局は全腎協と同じ目白の紫山会ビルにあった。会員増や活動の多様化などで、事務所機能が限界になっていた。

 1998年開催の第26回総会において1999年度からの会費値上げを前提に7月9日、山手線大塚駅近くの一橋ゼミナール新本社ビルに移転した。新事務所は、旧事務所の約3倍の広さがあり、日常の業務と発送作業、来客の対応が平行して行えるようになった。スペース的にも余裕ができて、専従以外の役員が事務局を応援することができるようになった。

 2001年度から新たに事務局次長として田中助成が週3日勤務し、渉外関係や臓器移植キャンペーン、腎臓病を考える都民の集いなどのイベントや諸会議等の実施面で活躍している。この様に事務局強化は人数的には一定の前進が認められるが高齢化は顕著だ。長期に安定して東腎協の運営を出来る人の発掘は相変わらずの課題となっている。

【東腎協の財政】
 1992年度の会員数が伸び悩みから、1993年度予算では、特別会計からの繰り入れを余儀なくされた。こうした事態を受けて1993年度、事務局財政検討委員会を設置し、会費の値上げも含めて検討を行なった。しかしこの年は会員数が伸びたこともあって、約200万円の繰越が出た。その後、会員も順調に増え毎年200万から300万程度の繰越もでて東腎協の財政は順調に推移した。
 
1999年度の事務所移転に伴なう会費値上げで、東腎協の年会費は全腎協会費1800円を含め、年間5400円となった。会費の値上げは種々議論があったが、結局は近い将来の専従職員採用も視野に入れ、現在の年会費プラス1200円を幹事会・総会に提案し承認された。また、財政安定のため、東腎協では日常的に会員拡大に取組んできた。しかし、最近は役員の病気の重症化などで、会の運営が困難になり、会費の納入が遅れる会が増えてきた。会費集めは本当に大変な仕事だが、東腎協は運動の自主性を保つためにも収入のほとんどを会費に頼っている。会員皆さんの協力をお願いしたい。

【東京都への要請活動】
 東腎協は毎年、要望実現のため、次年度の東京都予算に関する都庁要請・都議会要請などを行ってきた。要望項目は活動の多様化により年々増える傾向にあり、2002年度の要請先は健康局、福祉局、産業労働局、総務局、教育庁の4局1庁で、項目数は28項目だった。ここ10年の主な成果を年代順に記す。

●1993年度、東京都は「都立病産院運営基本指針」を策定した。この中で腎医療については、導入透析や腎移植を分担するとし、臓器移植についても将来取り組む医療の一つとして取り上げた。また、この年には都立大久保病院が改築を完了し、7月から診療を再開した。福祉局関係では心身障害者福祉手当の増額(月額500円増の14500円)が認められた。
●1994年、署名運動や国会請願デモ行進などの反対運動
にもかかわらず、病院給食に患者負担を導入する「改訂健康保険法」が施行された。東腎協は、この自己負担分の助成を東京都に要望。都は心身障害者医療費助成、特殊疾病医療費助成などの対象者について、自己負担の助成を決めた。
 また、全腎協・東腎協が国会請願を始め長年運動してきた有料道路料金身体障害者割引制度が10月から私たち内部障害者にも適用になった。
 7月から伊豆の神津島において透析が開始され、島しょにおける透析に大きな展望が開けた。心身障害者福祉手当てはこの年も月額500円アップされ、15000円となった。
●1995年度は、1996年に全腎協結成25周年記念総会が東京で行われるため、東京都などへ大会の助成金を申請し、東京都、区長会、市長会から合計166万円の助成を受けることができた。福祉局関係では心身障害者福祉手当が月額500円増額され、15500円となった。
●1996年度は、これまで毎年レベルアップされてきた心身障害者福祉手当が、厳しい財政事情を理由に月額15500円に据え置かれた。10月には長年要望してきた伊豆大島における透析が開始された。災害対策では、東京都地域防災計画(平成8年修正)の中にはじめて「透析患者への対応」という項目が設けられ、今後の具体的な対策への期待が高まった。
●1997年度、都は「財政健全化計画」で、心身障害者の医療費助成制度について、住民税非課税者以外の障害者について老人保健法並みの自己負担を求めてきた。東腎協では11月、都議会請願に取組み、6万人を超す署名を集め、都議会に提出するなど反対運動を強めた。その結果、青島都知事は1998年1月、心身障害者医療費助成の現行制度継続を決断した。会員皆が危機感を持って活動した大きな成果だった。
 島しょにおける透析ではこの年の5月から神津島、大島に次いで三つ目の透析施設が八丈島に設置された。災害対策について衛生局が「災害時における透析医療活動マニュアル」を作成し都内の透析施設や、関係機関に配布した。この「マニュアル」は2000年度に改訂版が発行された。
●1998年度は、長引く不況の影響で、東京都の財政も危機に直面しているとして、1999年度の臓器移植キャンペーン、腎臓病を考える都民の集いの予算はゼロ査定となった。そんな中で、心身障害者医療助成はなんとか現状維持をすることができた。
 災害対策では福祉局の「障害者震災対策検討委員会」の検討の結果が、1999年2月に「障害者及びその家族のための防災マニュアルへの提言」として出版され、各区市町村防災課と関係機関に配布された。
●1999年7月、石原新都知事は聖域なき見直しを掲げた「財政再建プラン」を発表した。この中には医療費の助成や各種の福祉手当の大幅後退が含まれていた。特に、心身障害者医療費助成などの後退は、2年前に青島都知事の時にも見直されたという経緯がある。東腎協ではパンフレットや会報でこの状況を会員に知らせると同時に、都庁要請、都議会請願、都庁座り込みなどの行動を繰り返し展開した。特に都議会請願は会員が一丸となって、7万2001人と東腎協が行った署名活動では過去最高の署名を集めた。
 しかし、予算案は12月20日、異例の速さで知事査定が行われ、住民税非課税者の一部負担の軽減措置はとられたものの、ほぼ原局案どおり決定した。これにより、65歳以上で新規に透析に導入された人や所得基準を越える人はマル障の対象外とされ、対象となった人も老人保健並みの自己負担が必要となった。
●2000年度は臓器移植推進のため、東京医大八王子医療センターに移植コーディネーターを配置したことが報告された。
●2001年年度は全腎協の結成30周年記念大会開催に向け東京都、区長会、市長会、町村会より合計171万円の助成が受けられた。

【都立大久保病院をめぐる問題】
 国公立病院の合理化が進んでいる。国段階では1995年、国立王子病院が統廃合計画で、立川市に移転・廃止され、国立立川病院と統合の上、防災医療施設として建設された。歴史的にも実績のある王子病院が廃止されたことはまことに残念であった。
 都立大久保病院は、全面改築後の1993年7月から診療を再開している。そのうち腎不全センターの病床として30床が確保され、人工腎臓は25台設備されている。東腎協の要求である成人の腎移植についても、近い将来の実施に対応できるよう、手術室などの設備面も整備された。

 このように当時の大久保病院の腎不全医療は充実され、都立病院として腎疾患の早期発見・早期治療から移植まで含めた腎疾患総合対策の拠点として大いに期待された。ところが、石原都政となってからは医療・福祉の見直しが厳しく「東京発医療改革」と称し、都立病院などの合理化を進めている。
 この中でも私たちにとって最大の関心事は大久保病院の公社化、民営化である。大久保病院はその創設以来の経緯や、都立病院唯一の腎不全センターが設置されていることから、東腎協としてこの合理化に賛成することはでない。

 東腎協では2001年7月、「都立病院改革については公社化・民営化はやめ、都の直営を守り充実・発展させる」要望書を提出した他、都立大久保病院の存続のためさまざまな活動をしてきた。しかし、2002年には、「都立病院改革マスタープラン」が策定され、その中に大久保病院は2004年の実施を目指して保健医療公社へ経営を委ねるということが明記されている。

【劇症肝炎事故と医療ミス】
 今日、透析は多くの患者を社会復帰させる医療として定着している。しかし、大量の血液を体外循環させるという、基本的な部分では常に重大事故のリスクを持つ医療だ。

 1994年に東京・新宿の透析施設で透析患者5人がB型肝炎ウィルスによる劇症肝炎となり、このうち4人が死亡する事故が発生し、当該施設の患者はもちろん、他の透析患者にも大きなショックを与えた。
 全腎協・東腎協では厚生省・東京都、施設側に、一刻も早い感染原因の究明と再発防止を強く要請、厚生省・東京都は「東京都劇症肝炎調査班」を設置し、感染原因の究明に取組んだが、結局感染源や感染経路の特定までは至らなかった。

 その後1999年5月、兵庫県加古川の透析施設で6人が、劇症肝炎で死亡するという事故が再び起こった。同時期には他の透析施設でも肝炎ウィルスによる院内感染が疑われる事例が相次いだ。同じような院内感染と疑われる事故は2000年に入っても5月に浜松の病院、9月には同じ静岡県の下田市、10月には福岡の透析施設や千葉県の病院でもというように続いた。これらの事故ではいずれも原因、感染経路などは特定できず、また、その責任をとる者もいないまま事実上の収束とされた。

 こうした院内感染の続発に、私たち患者は日々の透析に大きな不安を感じる。またいずれの事故でも原因や感染経路などの特定ができず、事故の結果が生かされていない。徹底的な原因の究明と公表、今後の感染対策の徹底を関係機関に働きかけるとともに、私たち自身も診療現場のチェックを強めていくことが必要である

【阪神淡路大震災と災害対策】
 1995年1月17日未明、神戸市を中心に阪神地方を襲った「兵庫県南部地震」は未曾有の被害をもたらせた。透析患者についても24人が亡くなるなど患者・家族に関わる直接的な被害の他、多くの施設でライフラインが絶たれるなど、透析施設も大きな被害を受けた。このため透析患者は治療を受けるために大変な苦労をしなければならなかった。

 私たち透析患者は災害にはまったく弱い立場にある。東腎協は1979年に東京都に対して、「災害時の人工透析医療の確保について」を提出以来、毎年要望を継続してきた。阪神大震災は東京都衛生局が「災害時救急透析医療システム検討部会」を設置した矢先の出来事だった。また、私たちの運動は東京都地域防災計画1996年(平成8年修正)の中で初めて「透析患者への対応」という項目を設けさせるという成果も得られた。

 1997年8月には衛生局から「災害時における透析医療活動マニュアル」が発行され、透析患者への支援の必要性と課題が明示された。私たち透析患者が災害時でも生命が維持できるよう、行政の対策を促してきた長年の運動に大きな記念となる年であった。このマニュアルの一部は東京都のホームページにも掲載されている。

 1997年は、東腎協でも課題となっていた「緊急時透析患者手帳」の作成に取組んだ。この手帳は血液透析だけではなく、CAPDの人も使える内容とし、都内の主な透析施設の所在地も掲載し、全会員に無料で配布した。また、東腎協は広域災害対策のため、関東ブロック災害対策推進委員会に出席し、ブロック間の連絡網の整備などに取組んできた。

【災害義捐金の取組み】
 全腎協ではこれまで、災害で会員が被災した場合、その都度見舞金を募金してきた。ここ10年では1993年の鹿児島県の集中豪雨水害、1995年の阪神大震災、2000年の北海道・有珠山の噴火が募金の対象になった。東腎協では全腎協の呼びかけに応じ、鹿児島の水害では98万円、阪神大震災では480万円、有珠山の噴火災害では117万円余りを集め、全腎協を通じ被災者へ届けてきた。
 しかし、災害の規模や被災会員の数、募金額などから見舞金の額に差が出ていた。そこで全腎協は2001年4月、「災害見舞金規程」を発足させた。見舞金の支払い基準は本人の死亡または家屋の全壊で10万円、家屋半壊5万円、一部損傷及び床上浸水3万円などとなっている。

【国会請願運動】
 東腎協では毎年行っている全腎協の「腎疾患総合対策の早期確立を要望する」国会請願署名募金とJPCの「総合的難病対策の確立を要望する」国会請願運動を会員一人ひとりが参加できる運動と位置づけ、毎年、会員皆でがんばってきた。

 請願結果については1993年の第22次の国会請願は、宮沢内閣不信任案が成立、解散となったために審議未了となった。
 また、27次では財政難を理由に国や自治体が医療・福祉の見直しを進める中で「医療の質の低下につながる診療報酬の定額制をやめてください」という項目を盛り込んだため、与党から異議が出て不採択となった。さらに2000年の第29次国会請願は、衆議院の解散で審議未了となった。
 また、この全腎協やJPCの国会請願に加え、1993年にはJPCの緊急署名「給食、室料、クスリ代の保険適用除外の中止を求める緊急要望書」、1997年は川野裁判支援署名や難病への自己負担導入反対はがき運動、1999年には臓器移植推進連絡会の「こどもの脳死移植の実現を求める請願署名」、JPCの「難病公費医療の患者負担撤廃と医療保険制度改悪反対国会請願署名」など、しばしば行われる緊急署名運動にも取組んできた。1997年と1999年には「心身障害者(児)医療費の助成ならびに心身障害者福祉施策の継続・発展を求める」都議会請願を優先して取組むことにしたため、年明けからの取組みとなった。

 全腎協の国会請願は2001年度も署名数100万人を超え、私たち患者の声を直接国会に訴えることができる大きな運動に育った。毎年の署名集め募金の捻出には皆苦労しているが。運動の意味を考えると今後も会員一同がんばらなければならない。

全腎協国会請願署名・募金運動経過一覧

回数 請願日 全腎協署名数 全国参加者 要請議員 結果 東腎協参加者 東腎協署名数 募金額
第22次 1993.3.25 85 万人 161 人 239 人 審議未了 15 人 39,047 3,884,954
第23次 1994.3.31 93 万人 177 人 241 人 採択 14 人 42,614 3,410,607
第24次 1995.3.30 92 万人 166 人 261 人 採択 14 人 42,378 3,559,424
第25次 1996.3.28 95 万人 155 人 265 人 採択 15 人 45,553 4,063,283
第26次 1997.3.27 98 万人 146 人 252 人 採択 15 人 46,798 4,315,856
第27次 1998.3.26 95 万人 160 人 265 人 不採択 10 人 47,078 3,977,992
第28次 1999.2.25 99 万人 180 人 263 人 採択 19 人 51,889 4,117,637
第29次 2000.3.23 99 万人 172 人 268 人 審議未了 10 人 55,221 4,058,815
第30次 2001.3.22 104 万人 120 人 274 人 採択 13 人 65,501 3,827,766
第31次 2002.3.28 106 万人 186 人 291 人 採択 15 人 59,906 3,443,901
【川野裁判】
 タクシー運転手で長野県腎協会員の川野さんが透析をはじめたことを理由に解雇され、「解雇無効」、「職場復帰」を求めた裁判で、長野地裁での敗訴を不服として1996年12月、東京高裁に控訴し7回の公判、二次にわたる和解交渉の末、1998年7月、「解雇撤回」、「原職復帰」を柱とした川野さん側の主張をほぼ認めた和解が成立した。川野さん側は、透析時間確保のため、他の社員と同じ勤務時間を守れないから解雇はやむを得ないという一審の判決が、障害者雇用に関する国際準則や障害者雇用促進法に反することを訴えてきた。

 この間、全腎協は透析患者の生存権と働く権利を求め、「川野さんの復職をめざす会」を結成し、全国的な支援活動を行ってきた。

 東腎協では控訴審が東京高裁で行われることもあって、署名活動、ビラまき、公判傍聴、復職要請はがきなどこの運動に積極的に取組んできた。川野裁判は、透析患者など中途障害者の多い内部障害者の働く権利を守る上でおおきな役割を果たしたと言える。その一方で、障害者雇用促進法が障害者の雇用継続を守る上で、事業主に法的義務があるかないか明白でないこともあり、今後の障害者の就労に大きな課題を残す結果となった。

【EPO裁判】
 エリスロポエチン製剤の保険請求減点、却下問題をめぐり神奈川県の田園腎クリニック・中井洋院長が2000年4月、横浜地裁に神奈川県国民健康保険団体連合会を被告として提訴した。神奈川県はEPOにかかわる保険点数の査定が厳しいといわれ、特にヘマトクリット30%以上の患者に投与したエリスロポエチンは「過剰投与」、「不適当不必要」としてことごとく却下されているという。
 中井院長は「ヘマトクリット値30%以上の患者もEPOを使うことは医学的にも必要なことで、それを認めない神奈川県国民保険団体連合会の査定は違法」と減点された診療報酬の支払いを求めて提訴したものだ。

 患者の立場からこの裁判を支援してきた神奈川県腎友会を中心として、2000年6月、「EPO訴訟を支援する会」が結成され、東腎協の糸賀会長も呼びかけ人の一人となっている。同年10月には全腎協でも全国的な支援を決定した。これを受けて東腎協は11月の常任幹事会で、この裁判の結果は、全国の診療報酬審査に大きな影響を与えるものであり、透析患者全体の問題として支援の輪を広げることを改めて確認し、12月には「EPO訴訟を支援する会」への入会を各病院腎友会に呼びかけた。

 また、東腎協では2000年5月に開かれた第一回口頭弁論に役員を派遣するなどのこれまでの公判や報告集会にも毎回役員を派遣してきた。裁判は今年3月以降、公判が開かれず、非公開の話し合いが行われている。

【腎移植推進運動について】
 従来、「腎臓・角膜及び骨髄移植推進キャンペーン」として東京都などと共催で開催してきたが、1994年度からは骨髄移植が外れて「腎臓及び角膜移植推進キャンペーン」と名称も変わった。1995年度、1996年度も「腎臓及び角膜移植推進キャンペーン」として上野と小金井で開催。1996年度からはこれまでの登録制とともに「意思表示カード」制が導入された。「意思表示カード」制は、これまでの登録制とは違い、各人が死後の臓器提供について生前に意思表示をしておくというもので、大量に配布をしなければ効果は期待できないことから、1セットに意思表示カードを2枚組み込むなどの工夫をした。

 1997年度のキャンペーンは前日(10月16日)に脳死移植法が施行されるという本来注目されるキャンペーンだった。しかし活動そのものは東京都の予算が大幅カットされた影響で、新宿・NSビル1ヵ所という寂しいキャンペーンで、内容も平日ということもあり東腎協の活動としては達成感のない活動となってしまった。
 1998年度も予算が取れず、立川1ヶ所での実施となった。さらに1999年度からは東京都でキャンペーン費が全く予算化されず、東腎協独自に池袋駅東口、上野公園、新宿駅西口、立川駅の4ヶ所で全腎協の臓器移植普及推進全国街頭キャンペーンとして実施した。

 2001年のキャンペーンも全腎協の行動日にあわせ、東京都はじめ各団体の後援、協力をいただき、数寄屋橋公園、上野公園、池袋駅東口、立川駅の4ヶ所で実施し、意思表示カード4万2000枚を配布した。東腎協独自の活動になってからは、東京肝臓友の会やボランティア、ライオンズクラブ、企業など広く働きかけを行っている。
 こうした活動を行ってきたが、献腎移植・脳死移植はいっこうに増えてこない。腎移植の待機患者は2001年1月末現在1万3153人もいる。腎移植を希望しても実際に移植が受けられる確率は宝くじ並だ。ちなみに2001年1月から12月までの腎移植数は献腎移植136件、脳死移植16件だった。1997年10月に臓器移植法が施行されてから献腎移植については減る傾向にある。腎臓は心臓死でも移植が可能なので、脳死移植とは別に心臓死からの腎移植をシステム化しない限り腎移植の飛躍的な増加は望めない状況だ。

【腎臓病を考える都民の集いについて】
 東腎協は1987年11月、結成15周年を記念して東京都、東京都医師会との共催によりシンポジウム「腎臓病を考える都民の集い」を開催した。この集いは「透析に苦しむ患者は私たちでたくさんだ」との想いから、一般都民に対して、腎臓病の知識普及のために開いたもので、全腎協が提唱する腎疾患総合対策の実践として取組んできた。
 東京都との役割分担は東腎協は企画立案を行い、東京都が会場の借り上げや、広報などお金のかかる部分を担当してきた。

 1998年度の第12回は、第41回日本腎臓学会の公開市民講座として5月に開催した。1999年度からは、東京都の財政難で予算がつかず、この年は東腎協も準備不足ということもあって初めて中止となった。

 2000年度、2001年度は15周年でこの会を開いた意義を再確認し、すべての経費を東腎協で負担して開催した。会場も比較的に安い、池袋の豊島区民センター文化ホールが確保できた。講演や医療相談については2000年度は順天堂大学、2001年度は日本医科大学などの協力を得た。また、東京都はじめ豊島区などの近隣区、学会、医会など合わせて13団体の後援が得られた。広報についてはカラー刷りのポスターを作り、保健所や医療施設に掲示を依頼したり、朝日、読売などの新聞、NHKテレビなどにも広報を掲載してもらうなどの活動が盛会に結びついた。また、第1回の集いから全会、これらの貴重な内容は毎回報告集として出版してきた。

【雇用促進運動】
 ここ数年の不況で、大量の失業者があふれている現実から、私たち障害者の就職はますます厳しいものといわざるを得ない。1998年に和解成立で一時復職を果たした川野さんのように、透析時間を確保するための早退などに対する職場の理解が得られないことと、透析治療が高額なため健康保険組合から歓迎されないという2点が問題となっている。

 東腎協は、透析患者の雇用促進を活動の重点課題のひとつとして、毎年の東京都の予算要請などで働きかけてきた。身体障害者の雇用について、各企業、法人、機関は「障害者の雇用の促進等に関する法律」で定められた割合で身体障害者を雇用しなければならないことになっている。この内、一般の民間企業は従来1・6%と決められていたが、1998年7月から知的障害者の雇用強化という面から1・8%に引き上げられた。

 ちなみに、2000年6月現在の障害者の雇用率は1・49%となっている。また、法定雇用率未達成企業の割合は55・7%で、半数以上が未達成となっている。こうした厳しい環境の中でも、都内の職業安定所では毎年数十人の腎機能障害者が職につくという成果をあげている。また、東京都と特別区では身体障害者を一般の採用試験とは別枠に行う制度が実施されており、毎年東京都ではひとり程度、特別区で数人の腎機能障害者が採用されている。東腎協では民間での雇用を促進するためにも、東京都における障害者の積極的な採用を要請している。

【学習交流活動】
 東腎協は、毎年9月に開催する幹事会の後に、幹事・常任幹事を対象とする学習交流会を開催してきた。テーマにはその時期のタイムリーな問題や、患者会活動の重要な問題について学習を進めてきた。ここ10年間の内容を振り返ってみよう。

 1993年は厚生省が病院給食や室料などに「患者負担を導入」する案を公表したことから「最近の医療情勢」を学習した。

 1994年には福祉8法改正以来、各種の福祉対策が区市町村で行われることになったことから「地域福祉」について学習した。地域活動に関連して1996年には「東京肝臓病の会」の活動を学習した。

 1995年はたまには自分自身をみつめることも必要ではないかと、「生きがいのある生活を求めて」というテーマでグループ討議を行った。1997年度には、「高齢化社会を考える」をテーマに外部講師を招き学習した。1998年は川野裁判で訴訟を手がけた全腎協顧問の高野弁護士を招き「透析患者の働く権利について」依然として厳しい環境を学習した。

 1999年度は、介護保険について東京都の担当課長補佐を招き学習を進めた。2000年度は肝炎の院内感染の続発などの医療ミスが相次いで発覚した。患者として治療に参加する必要を感じ「透析の仕組みとトラブル対策」について臨床工学技士の話を学習した。2001年は、「透析医療をとりまく社会的問題」と題する講演を透析医会会長の山崎先生にお願いし、透析医療費問題、医療事故、災害対策や、介護問題など、透析患者の今日的問題について広く学習した。

【青年部の活動】
 東腎協役員の高齢化が進んでいる。また、長期透析の合併症などによる骨関節の痛みなどで役員としての活動が困難になっている人も出てきている。そんな中で青年部には大きな期待が寄せられてる。

 青年部は創設以来、レクレーションなどを催すことによって、一人でも多くの青年層に出会いの場を提供し、青年部の基盤を作っていこうという方針の基、交流会を年に2〜3回開催した。こうした考えは他県にも広まり、1994年からは関東ブロック青年交流会が始まり、1996年からは全腎協も青年交流集会を開くようになった。

 このような中で東腎協は、1999年度から青年部の活動をより重視するために、青年交流会費を予算化した。こうした期待に応え青年部は、交流会の開催を増やしたり、また、臓器移植推進キャンペーン、腎臓病を考える都民の集いへの協力など東腎協全体の事業へも意欲的に取り組んでいる。また、2001年度から東腎協のホームページを担当、東腎協の中に大きな位置を占めるようになった。

【地域活動について】
 地域活動への取り組みは、この10年でその重要性がますます増してきた。私たちに関係のある福祉施策や介護保険など、区市町村主体の施策に対応するため、全腎協・東腎協では区市町村単位の組織化に取組んでいる。しかし、地域での組織化には病院腎友会との関係、役員問題、会費の徴収問題などどれをとっても難しい問題が山積している。実際、組織化されているのは荒川、板橋、江戸川、江東、練馬、町田の5区1市にとどまっている。
 
東腎協では従来から、東京を4つのブロックに分け、地域に密着した活動を目指してきた。しかし、各ブロックが実際に行政への要請活動や、課題となっている通院介助などの地域活動までには取組める状況にはない。こうした事業を行うには、区市町村単位での立ち上げが必要だ。

 地域腎友会の結成促進のため、東腎協では1998年度から地域腎友会の交流会を開き、会の運営などについて情報を交換する場を提供している。そうした交流の中から新たな会の誕生が期待される。
 また、最近の透析患者の高齢化、重症化で自力で通院ができない患者が急増している。透析患者は週3回、しかも透析は4時間かかるために、その送迎は従来の施策では対応できない。また、私たちが期待した介護保険も移送サービスには対応していない。新しくできる透析施設では施設自らが送迎を行うなど、要介護者への対応がとられている所も見られるが、多くの場合は家族が送迎をしているのが実態だ。

 そんな中で、板橋や西東京、練馬で患者が主体となって通院支援事業がはじまっている。事業はボランティアに頼っている部分が多く、経費の分担、事故への対応などさまざまな課題がある。こうした支援事業の情報交換の場として全腎協は2000年度から通院介護支援事業交流会を開き交流と学習を進めている。

【全腎協の法人化】
 全腎協は1996年9月、厚生大臣から社団法人の設立が許可され、「全国腎臓病患者連絡協議会」という任意団体から社団法人「全国腎臓病協議会」となった。
 公益法人化の理由として全腎協は、第一に全腎協の組織、財政規模から任意団体では不自然、不都合な部分が日常運営上随所に生じていること、第二には法人格を得ているほうが社会的な信頼が高まり、付加価値も拡大する、と説明した。

 設立までの経過の中で「法人格を取得することによって、全腎協の運動体としての側面が弱まるのではないか」という意見が多く出されたが、全腎協は、基本的に現行の組織・機構を変更しない。仮に懸念されるようなことが許可条件になるならば、法人に固執することはない」と説明してきた。

 法人化によりこれまで各県持ち回り開かれていた全体総会は、啓発事業の「大会」となり、これに代わり従来各都道府県の代表による幹事会が議決機関である「総会」となった。結果として、一般会員が全腎協の総会で意見を述べるという機会が奪われ、その分会員から見れば「全腎協」が少し遠い存在になった感じは否めない。全腎協はそれをどう埋めていくかという課題が残されている。

目次(あゆみ東腎協の30年)へ

 東腎協30周年 あゆみ P25-36


最終更新日:2003年2月11日